「最もチケットが取れない講談師」と呼ばれている神田伯山さん。
歯に衣着せぬ発言で人気を博し、テレビやラジオで大活躍されています。
そんな神田伯山さんのプロフィールや学歴、講談師になったきっかけを調査しました!
この記事でわかること
・神田伯山さんの学歴は武蔵大学卒
・神田伯山さんの出身高校は?
・神田伯山さんの出身中学や小学校は?
・神田伯山さんの生い立ちは?
・神田伯山さんが講談師になったきっかけは?
神田伯山の学歴を大学〜小学校まで紹介
神田伯山さんの学歴
・出身大学:武蔵野大学
・出身高校:聖学院高校
・出身中学:東京都豊島区立道和中学校
神田伯山の出身大学は武蔵野大学(偏差値57.5~60.0)
神田伯山さんは武蔵野大学経済学部経済学科(偏差値57.5~60.0)を卒業されています。
神田さんは高校を卒業後、浪人して武蔵野大学へ進学しています。
浪人中にたまたま立川談志の独演会を観てファンになり、追っかけをされていました。
大学在学中には、講談師神田伯龍さんに衝撃を受け、講談師になることを決意したそうです。
神田伯山の出身高校は聖学院高校(偏差値58)
神田伯山さんの出身高校は、聖学院高校(偏差値58)です。
東京都北区にある私立の中高一貫の男子高校です。
ちなみに中学は公立ですので、高校から入学したようです。
高校在学中に、深夜ラジオで落語を聴くようになり、友人と寄席に通うようになったそうです。
高2の時、深夜のラジオ番組で、たまたま昭和の名人と言われた三遊亭 圓生 師匠の落語を聴いて、その魅力にとりつかれました。流れてきたのは、昭和天皇にも披露したという『 御神酒徳利 』。四十数分やってたんですけど、男女や老人とか何役も演じ分けて、次々とこっちの頭に思い浮かべさせる。言葉の力だけでですよ。こんな面白いものがあるのかと衝撃でした。
引用:読売新聞
高校の時に、落語の世界と出会っていたんですね!
神田伯山の出身中学は東京都豊島区立道和中学校
神田伯山の出身中学は東京都豊島区立道和中学校(現在の西池袋中学校)です。
バスケ部に所属し活躍していたそうですが、どこか「ここは自分の居場所じゃない」と感じていたそうです。小学校3年生で父親を亡くし、いつも心のどこかで他の人とは違うと感じていたと語っています。
少年時代を「空っぽ」だったとも語っています。
神田伯山の出身小学校は豊島区立池袋第三小学校
神田伯山さんの出身小学校は、豊島区立池袋第三小学校です。
小学校時代は、小学校4年生まではとびきり明るい子だったそうです。
しかし、小学校4年生の時に父親を亡くしています。
大変ショックで、その後は笑うことに罪悪感を抱くようになってしまったとも語っています。
神田伯山の生い立ちと講談師になったきっかけとは
神田伯山の生い立ち
神田伯山さんは、父豊さんと母ミエ子さんの次男として誕生されています。
お兄さんが一人の2人兄弟です。
お父さんが貿易会社に勤務されており、神田伯山さんが幼少期に3年ほど家族でブラジルにいたそうです。
その後帰国され東京都豊島区で暮らしていましたが、神田伯山さんが小学4年生の時に亡くなっています。
その後は、お母さんの実家の祖父母と兄と5人暮らしをされています。
現在は、妻の古舘理沙さん、お子さんの3人家族です。
講談師になったきっかけ
神田伯山さんが講談師になったきっかけは何だったのでしょうか。
神田伯山さんが落語に目覚めたのは、高校2年生の時に聞いていたラジオ「三遊亭 圓生 師匠の落語」だったと語っています。
また、浪人時代に立川談志の独演会を観てファンとなり、大学在学中は講談師神田伯龍さんに衝撃を受け、講談師になることを決意したそうです。
大学卒業後は、三代目神田松鯉さんの下に入門します。
神田松鯉さんからは、「お前は将来名人になる」と言われるくらい腕を買われていたそうです。
その後、数々の賞を受賞するなど飛躍的に活躍され2020年には六代目 神田伯山を襲名するに至っています。
神田伯山のプロフィール
六代目 神田伯山(かんだ はくざん)
本名 古館克彦(ふるたち かつひこ)
生年月日 1983年6月4日
出身地 東京都豊島区池袋
血液型 A型
所属 日本講談協会、落語芸術協会
身長 173~175cm(非公開)
家族 妻(古舘理沙さん)、子供1人
神田伯山の学歴は武蔵大学卒!のまとめ
いかがだったでしょうか。
神田伯山さんの学歴や生い立ち、講談師になったきっかけをまとめてみました。
YouTubeでもご活躍されている神田伯山さん、今後ますます活躍が期待されますね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!